2019年12月メッセージ クリスマス&ハヌカ

2019年12月 クリスマス&ハヌカ 講師:石井田 直二

今年は12月22日夜~30日が「ハヌカの祭」になり、ちょうどクリスマスと重なりました。ハヌカの祭はキスレヴ月の25日からで、クリスマスも12月25日です。そして、この2つの祭は共に光の祭とも言われるため、これらの祭が関係があるという人もいますが、クリスマスが冬至の祭から来ていることは確からしいので、たぶんあまり関係ないと思われます。

しかし、これらの祭が記念する歴史的事件は、様々な意味で関係しています。ハヌカの祭は紀元前164年の「マカベヤの乱」と呼ばれる事件を記念する祭ですが、この事件はキリスト誕生の重要な準備とになりました。今日はそれを学びましょう。

マカバイ戦争

■中間時代 Intertestamental Period とは

旧約聖書と新約聖書は互に深く関係した一連の啓示です。旧新約聖書は、それらを1冊にしたものです。この旧新約聖書を見ると、旧約聖書と新約聖書の間には薄い中表紙が1枚入っているだけですから、その間に何も大きな事件が無かったように考えがち。でも、この1枚の中表紙の部分には、何と400年余りに及ぶ様々な事件がありました。

この時代を「中間時代」と言います。英語では Inter-testamental と言い、それは Old Testament と New Testament の間という意味です。

旧約聖書の記述は、バビロンに捕囚されたユダヤ人たちが、預言者たちの言葉通りに前516年に約束の地に帰還し、神殿と城壁を建て直すところで終わっています。帰還の勅令を出したのは、バビロンを滅ぼしたペルシャのクロス王でした。その後、城壁の再建が終わる時代に書かれた「最後の預言」とされるマラキ書の記述は、紀元前420年頃で終わっています。

その後、ペルシャは中東一帯を支配しますが、そこにやって来たのがアレキサンダー大王でした。彼はマケドニアで王位を得ると長い遠征を始め、またたく間にペルシャ帝国を滅ぼしてしまいます。当時のペルシャ帝国は弱体化していて、人々の中には不満が渦巻いていたので、アレキサンダー大王は、多くの都市で「解放者」として歓呼で迎えられたのでした。そしてユダヤの地も前332年にペルシャの支配からアレキサンダー大王の支配下に入ります。

しかし、それから十年ほどの間、大王は戦いに次ぐ戦いを重ね、インドのあたりまで行くと力尽きて病死してしまいます。その後、王国は3つに分裂してしまうのです。その時、ユダヤはエジプトを中心とするプトレマイオス朝の支配下に入るのです。プトレマイオス朝は、イエスの少し前の時代の女王クレオパトラで有名ですね。

しかし、しばらくしてユダヤはバビロンのあたりを支配したセレウコス朝の支配下に移ります。エルサレムはちょうど二つの王朝の境界線のあたりになったからです。セレウコス朝はギリシャ文化(ヘレニズム)を人々に広めましたが、エピファネスという王は特に強硬で、ユダヤ人の宗教を禁止して偶像礼拝を強要したのでした。そして、エルサレムの神殿にも偶像が立てられたのです。

そこで、宗教への弾圧に怒ったマカベヤ一家はゲリラ戦を起こし、苦しい戦いの末に奇跡的な勝利を得て、前164年に神殿を奪還したのでした。この時に、1日分しか油が無かったのに、8日間も灯りが燃え続けたという言い伝えがあり、それを記念して「ハヌカの祭り」という祭が祝われるようになったのでした。これはヨハネ10:22に「宮きよめの祭」あるいは「神殿奉献祭」などとして登場します。

こうしてユダヤ人たちは何百年かぶりに独立を回復したのですが、その後はあまりよくありませんでした。マカベヤ一家(ハスモン王朝)は何十年かですぐに内紛を起こし、殺し合いを始めます。そして、争っている兄弟が、どちらも当時の新興勢力であるローマに支援を求めたのでした。そこでローマは、ほとんど戦わずにユダヤを支配下に入れ、紀元前37年に傀儡政権であるヘロデをユダヤの王にしたのでした。

その後、皆様ご存じのように、イエスが誕生したのでした。

■福音の舞台装置が整った時代

さて、この歴史を振り返ると、中間時代はイエス・キリスト登場の舞台装置を整える時代であったことがわかります。その中でも、マカベヤたちがユダヤ人の宗教と神殿を守ったことには大きな意味がありました。

1.旧約聖書本文の編纂と継承

中間時代に起こった重要な事件は旧約聖書の編纂です。バビロンから持ち帰った膨大な文書や、その後に書かれた多様な文書群の中で「これぞ聖書」と言うべき書が選択され、ほぼ聖典として確立したのです。最終的な確定はもう少し後になるとの見方もありますが、少なくともイエスは特定の「聖書」があるという前提で話しています。それを破壊から守ったマカベヤたちの功績は大きいと言えるでしょう。

2.古代ヘブライ語の読み書き

イエスがアラム語を話したかヘブライ語を話したかは議論があるところですが、当時のユダヤ人たちの多くが聖書ヘブライ語の読み書きが出来たことは疑いありません。ある程度の話者の人口が無い限り、写本を制作して文書を維持管理すること自体が不可能だからです。

3.イスラエルの神の神殿と儀式

イエスは神殿を重視し、その役割を認めていました。だから彼は、縄で鞭を作り、商売人を追い出したのです。またイエスは、神殿で教えていました。イエス・キリストの活動の重要な舞台だった神殿が、それまで守られたのはマカベヤ達が決死で反乱を起こしたからでした。

4.ユダヤ人の離散と会堂の存在

一方、この時代にはユダヤ人たちが地中海世界の各地に進出し、コミュニティーを作るようになっていました。それらは、後にパウロが福音を伝える際に重要な拠点となったのでした。

5.ローマの平和と交通の整備

パウロが長距離の旅行ができたのは、ローマ帝国の支配下で治安が確保され、道路が整備されたからでした。「すべての道はローマに通ず」という諺があるように、これは彼らがとても力を入れていたことでした。ローマの市民権を持つパウロが伝道旅行をするために、理想的な環境が整えられたのです。

6.共通言語(ギリシャ語)

もし、地中海世界に共通語が無かったなら、福音の宣教にはもっと時間がかかったことでしょう。しかし、アレキサンダー帝国内で使われたコイネーと呼ばれるギリシャ語が、紀元前後には広く通用していたので、パウロはギリシャ語とヘブライ語の2言語だけで、多くの人々と話ができたのです。また、旧約聖書のギリシャ語訳(セプチュアギンタ)も作られていました。

■そして救い主が生まれた

こうしてすっかり舞台の準備が整ったところに、イエスが生まれてきたのです。では、ルカ2:8-17を読んでみましょう。

8 さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。9 すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。10 御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。11 きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。12 あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」。
13 するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神をさんびして言った、14 「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。
15 御使たちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼たちは「さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか」と、互に語り合った。16 そして急いで行って、マリヤとヨセフ、また飼葉おけに寝かしてある幼な子を捜しあてた。17 彼らに会った上で、この子について自分たちに告げ知らされた事を、人々に伝えた。

主の栄光に照らされて、御使いからの生のメッセージがあって、その上に天の軍勢と御使いたちによる賛美……。どんなにかすばらしい光景だったことでしょう。今のクリスチャンがそんな場面に出くわしたら、すぐにスマホで撮影して、フェイスブックでシェアすることはまちがいありません。そして「いいね」をたくさん集めて「すばらしい、恵まれた」と言って帰って行くことでしょう。

でも、この羊飼いたちはそうはしませんでした。天使の賛美が終わるや否や、彼らはすぐに暗くて遠い夜道を歩いてベツレヘムまで行ったのです。彼らは「急いで」行ったのでした。話だけでは信じない、現場を確認して信じるのは、さすがにユダヤ人の羊飼いです。そして、天使の言ったことが本当だと、自分の目で確かめてから人々にそれを伝えたのでした。

私たちは、福音のメッセージを人より少し先に聞きました。でも、聞いた人はそれを聞かなかった人に知らせる使命を帯びていることを忘れてはいけません。その上、私たちはイスラエルに行って、預言の成就まで目にして来たのです。それがすべて預言の通りであったことを、私たちは多くの人々に伝えて行こうではありませんか。