2019年5月メッセージ「預言者ヨナの苦難」

2019年5月25日  預言者ヨナの苦難 講師:石井田 直二

マタイによる福音書 12章39~41節

12:39 すると、彼らに答えて言われた、「邪悪で不義な時代は、しるしを求める。しかし、預言者ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられないであろう。
12:40 すなわち、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるであろう。
12:41 ニネベの人々が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定めるであろう。なぜなら、ニネベの人々はヨナの宣教によって悔い改めたからである。しかし見よ、ヨナにまさる者がここにいる。

ヨナ書は他の預言書とは異なり、直接的な神の啓示の言葉という形を取らずに物語形式で叙述されています。私たちにとって重要なのは、イエスがマタイ12章で自らの死と復活を「ヨナのしるし」と言っているからです。しかも、イエスはニネベの人々の悔い改めを実際にあったこととして論じています。

ヨナの物語
イスラエルの預言者ヨナに、ある時、神から声がかかりました。敵国アッシリアの首都、ニネベに行って「40日たったら町は滅びる」と言え、というのです。ヨナは神の前から逃げ、船で遠くに行こうとしますが、嵐に遭います。神の怒りだと知った船の乗組員が、やむなくヨナを海に投げ込むと、ピタリと嵐が静まったので彼らは神を信じました。
海に投げ込まれたヨナは、大魚に飲まれて三日三晩を過ごし、その間に悔い改め、海岸に吐き出されます。仕方なくニネベに行ったヨナが「40日たったら町は滅びる」と言うと、十二万人の人々は王に至るまでが悔い改め、神は町を赦されます。そこで「嘘を言わされた」ヨナは烈火のごとくに怒るのですが、神はやさしくヨナを慰めるのでした。

驚異的な宣教

ニネベは巨大な町で、十二万人が暮らしていて、町を全部回るのに3日かかったと聖書は記しています。しかも、彼らは悪人で、その悪が神の前まで上って行ったというのです。圧政、弱者の虐待、犯罪、売春、その他のあらゆる悪が町に満ちていました。日本で宣教に苦労しておられる皆さんは、そういう町に「悔い改め」をもたらすのが、いかに困難かおわかりだと思います。
ところが、ヨナは単身で町に入り、わずか1日の「宣教活動」を行っただけで、何と町全体が悔い改めたのです。1日で歩けるのは町の3分の1ですから、少なくとも3分の2人々は、噂を聞いただけで悔い改めたことになります。
ヨナの語ったメッセージは単純でした。「40日を経たらニネベは滅びる」と彼は叫んだのです。もし、自分の住む町が40日後に災害で滅びるという確かな情報が入ったら、人はどうするでしょうか。もちろん、誰もが町から逃げ出すことでしょう。ところが、聖書には、ニネベから人が逃げ出したという記録は一切ありません。彼らは「悔い改め」という、常識では考えられない選択をしたのです。

鍵は「ヨナのしるし」

人々が悔い改めたのは、ヨナの運命を知ったからではないかと思います。彼は三日間、大魚の腹にいたのですから、おそらくは異様な状態だったのでしょう。髪の毛が緑色に変色していたかもしれません。肌もボロボロだったでしょう。「いったいどうしたんですか」と彼に聞いた人々は、ヨナから話を聞いて震え上がったに違いありません。神の命令を拒否して遠くに逃げようとした預言者でさえ、こんな罰をうけるなら、悪人である我々が神の怒りから逃げることは不可能だ。もう悔い改めるしかない、と彼らは考えたのです。
ヨナ書の中で、ヨナの運命が異邦人に悔い改めをもたらすという主題は2度も繰り返されています。最初は船員たちがヨナの運命を見て主を信じています。彼らの祈り「この人の命のために、われわれを滅ぼさないでください」は、あたかも十字架の贖いの原理を指し示しているかのようです。

預言が成就しない場合

ヨナがニネベで宣言したのは、40日後にニネベが滅びるという、無条件の預言でした。しかし、ニネベの人々は、なぜか神が「災いを思いかえす」ことを知っていました。
それでも、悔い改めさえすれば、神がいつも災いを思いかえされるとは限りません。ここはとても重要なところです。ニネベの王の「あるいは神はみ心をかえ、その激しい怒りをやめて、われわれを滅ぼされないかもしれない。だれがそれを知るだろう」という言葉に注目して下さい。ここには、ヨエル2:14の悔い改めの呼びかけと同じ言葉が並んでいます。神はイスラエルにも異邦人にも、等しく悔い改めの機会を与え、ある時にはその悔い改めを受け入れられるのです。
しかし、悔い改めがいつでも通用するとは限りません。「だれがそれを知るだろう」という語法は、それがたえず神の恵みにかかっていることを示しています。

イスラエルと「ヨナのしるし」

さて、この物語をよく考えて見て下さい。ユダヤ人であるヨナが頑固に神の言葉を拒否したから、神がヨナを試練に遭わせると、それを見た異邦人たちが二度にわたって悔い改めに導かれたのでした。誰が頑迷だったのでしょうか? 誰が苦難に遭ったのでしょうか?
この話が、とても重要な終末時代の予型になっていることにお気づきでしょうか。神は何度も同じパターンを繰り返されるのです。
パウロはそれを見事に言い当てています。ユダヤ人がかたくなになったので、異邦人に福音が伝えられ、ユダヤ人よりも先に悔い改めに導かれるのだと。
ユダヤのラビたちも、ヨナの運命が、イスラエル民族の苦難を象徴していると考えました。
終りの時代である今、イスラエル回復という、もう一つの「ヨナのしるし」を神は世界に見せておられます。私たちは、時間が残されているうちに、悔い改めなければなりません。